北鎌倉~長谷

獅子舞

なつかしい山道をたずねて

ゴールデンウォークの真っ只中、もう真夏かと勘違いしそうなくらいのいいお天気の中、がつがつ歩き回ってこざるにとって懐かしい山道や切り通しをたずねみました。内容よりも数をこなした一日でした。 (2005/5/5)

北鎌倉駅 →  内緒のけもの道 →  葛原岡 → 銭洗弁天 → 佐助稲荷神社 → 源氏山公園 → 化粧坂の切通し → 景清の土牢 → 海蔵寺 →   底抜の井 →   十六の井 → 亀ヶ谷坂(かめがやつざか)の切り通し → 巨福呂坂切り通し → 鶴岡八幡宮 → 小町通 → 鎌倉駅 → 長谷駅 → 高徳院


JR北鎌倉駅

久しぶりに北鎌倉の駅にきてみたら、上下のホームをつなぐ踏み切りの竿が自動に降りる普通の踏み切りになっていました。かつて学生だったころの私は駅員さんがシュッと竿を横に走らせる姿を毎日楽しみにしていたものです。自動化はちょっとさびしいこざるです。
北鎌倉駅のふみきり

内緒のけもの道

十数年ぶりにこの道に来てみたら、やっぱり人っ子一人通りませんでした。苔むした林のなつかしいにおいがしました。この道は地図にも載っていません。教えられないので、写真だけごらんください。
苔むした岩 鬱蒼とした林をぬけると

葛原ケ岡

けもの道を抜けて葛原岡に向かう途中、地図をのぞき込むおばさま方に道を聞かれました。私たちが来た方向に行こうとしていたようですが、そちらは車道かけもの道しかないので、最終的に鎌倉駅に着きたいのなら戻るほうが賢明ですと言って分かれました。
葛原岡神社にもよらず、木や崖のほうが木になる私たち・・・そこへ顔の目の前につーっと尺取虫が下がってきました。近くの葉の上に載せて、ちょうどいい形になったところを撮ってみました。
葛原ケ岡 尺取り虫

銭洗弁天

正式名は銭洗弁財天宇賀福神社といいます。源頼朝がある巳の年、巳の月、巳の日夢の中に宇賀福神は現れ、「この水を汲んで神仏を供養すれば天下は平和に栄えるであらう」とおつげを受けたので、 早速この地にお祀りしたといわれます。その後、北条時頼がこの水で銭を洗い、一家繁栄を願ったことにならって人々が銭を洗うようになったそうです。
手洗い場でまずお清めを・・・しようとしたら、ちいさい兄妹が柄杓で戦いだしました。おいおい、親はちゃんと管理してくださいよ。それにしてもこんなに混雑している銭洗弁天は初めてでした。
銭洗い場 鳥居群

佐助稲荷神社

源頼朝が伊豆に流されていたときに、夢のお告げで旗揚げを促した稲荷を佐助稲荷として祭ったそうです。たくさんの赤い鳥居と旗に囲まれた階段を登っていくと、木々にかこまれ鬱蒼としたちょっと神秘的な空間がまっています。人が少ないときに来てみたいけれど、それはそれでちょっと不気味かも・・・
鎌倉はもともとリスだらけなのですが、ここのリスは観光客に餌付けされているせいかすぐそばまで近づいてきます。私が写真を撮ろうと携帯を構えただけで、餌をくれるかと近づいてきました。「あげないよ~」と言ったらほかの観光客がかりんとうをあげだしました。う~ん。リス害が結構深刻だから、餌付けはやめたほうがいいですよ。
参道の階段を上りきって右の方へいくと、霊孤泉という泉がこんこんと沸いています。その横の立て札に下記のことが書かれています。

-霊孤泉(れいこせん)-
佐助の稲荷山は往古より麓の田畑を潤す水源の地なり。 生命の基のこの湧水を人々霊孤の神水と称え家々の神棚に供えて 稲荷のご神徳を戴くなり。 今に至るも絶えず沸きいづる霊孤の泉なり。
佐助稲荷の参道 タイワンリス 霊孤泉

源氏山公園

ここでお弁当にしました。おにぎりをほおばっていると、突然、源頼朝に扮した人が現れました。その人は頼朝の装束にスーツケースを持っていてとてもかなり怪しかったです。
源頼朝像

仮粧坂の切通

本日一番来たかったのが、化粧坂です。「けしょう」ではなく「けわい」と読みます。 新田義貞の鎌倉攻めとときに激戦地となった場所です。
仮粧坂の名前の由来は、平家の武将の首に化粧をしたとか、近くに娼家があったなどの説あります。油断ができないくらいに険しくて、でこぼこの坂道になっています。坂が大きく曲がると、デコボコがなくなるかわりに涌き水で道幅全体が濡れているのです。サンダル履きのおじさんは「これじゃ降りれねえよ~」と嘆き、その奥さんとおぼしき人は「なんでこんなに濡れてるのよ。靴がよごれちゃうじゃない。」と文句を言っていました。化粧坂にその足元で来るのが間違ってると思いますよ。
段差が大きい この距離でこの落差

景清の土牢

化粧坂を降りてしばらく行くと、岩盤の上に「水鑑景清大居士」という石碑が建っています。俗に平景清が源頼朝の暗殺を謀り、捕らえられ幽閉された土牢と言われていますが真偽はわからないそうです。歌舞伎にもこの景清が出てくる話がいくつかあるそうです。

海蔵寺

扇谷山 海蔵禅寺の手前の駐車場らしき場所。この穴はいったいなんでしょう?よくみるとそこら中に穴が掘られています。海蔵寺は臨済宗建長寺派の寺で山号は扇谷山です。建長5年(1253年)に 鎌倉幕府六代将軍宗尊親王の命によって建立されました。
鎌倉が滅ぼされたときに兵火によって全焼しましたが、応永元年(1394年)に足利氏満の命により山内上杉憲定が再興しました。春なのにかえでがこんなにきれいな赤色なんて初めて知りました。
なぞの穴ですが、後日調べたらやぐらという中世の墳墓だとわかりました。
大きなやぐら 茅葺の庫裡 春のもみじ

底抜ノ井

海蔵寺の門の手前にある鎌倉十井の1つです。無著禅尼の歌「千代能がいただく桶の底抜けて 水たまらねが月もやどらじ」から名づけなれたそうです。 水があまりきれいじゃなくてちょっとがっかり・・・
底抜ノ井

十六ノ井

十六の井は海蔵寺の奥にあります。この井戸を見るために拝観料100円を払い、さっそく十六の井へ。

境内の岩窟の中にある鎌倉時代の井戸です。中央奥に観音菩薩を祭り、その下に弘法大師像が安置されています。井戸の穴が十六個あり清らかな水をたたえています。暗い岩窟の中がのぞけるように、懐中電灯が置かれています。柵に「水が汚れるのでお金を投げないでください」と張り紙がしてありました。たしかに手前の方の小銭が投げ込まれている穴は、少し水が汚れていました。なぜ日本人はすぐに小銭を投げたがるのでしょうか。
 入り口には扉が付けられている十六ノ井の内部

亀ヶ谷坂(かめがやつざか)の切り通し

この坂に差し掛かる前に、手持ちのお茶が空になりました。日差しが照りつける中、この長い坂を上るのはけっこう疲れました。上りきったあたりには削られた崖がむき出しになっています。だらだらと長い切り通しの坂を登って降りると、そこはもう建長寺です。
かなりの勾配があります 切り通された崖 シャガの花

巨福呂坂切り通し

亀ヶ谷坂の切り通しを抜けるとそこはもう建長寺です。あまりの暑さにアイスクリームを買い、建長寺は「まあいいか」と通り過ぎ、目指すは巨福呂坂切り通しです。しばらく探すも見つからず というより、山の上にある神社に登るためのすごく急な長い階段があったのですが、あまりに急な勾配で、疲れてきていた私たちは断念したのです。後日わかったことですが、今は途中で寸断されていて通れないそうです。この道から円応寺の近くへ抜けることができたそうです。

鶴岡八幡宮

鶴岡八幡宮の境内に入っていくと、なにやら笙の音が聞こえます。5月5日は菖蒲祭でちょうど舞殿で舞楽が舞われていました。若宮大路から鳥居をくぐると左右に大きな池があります。東の池は源氏、西の池は平家で、源氏池には島が三つ、平家池には島が四つあり、三は産(繁栄)、四は死(滅亡)をあらわしています。源氏池には大きな鯉と亀がいるのですが、なぜか平家池には巨大でぶきみな亀しかみあたりませんでした。
大銀杏 舞殿

高徳院

鎌倉大仏は民間人が資金を出し合って造られました。寛元元年(1238年)に最初の木造の大仏がたてられましたが、宝治元年(1247年)の大風で破壊されたので、建長四年(1252年)に青銅の大仏がたてられました。当初は全身に金箔が施され、大仏殿に安置されていましたが、その後の地震と津波で大仏殿は破壊されて現在の姿となりました。
神奈川生まれの神奈川育ちの私は、大仏といえば鎌倉の大仏だと思っていたので、修学旅行で初めて奈良の大仏を見たときには、大仏殿の中に安置されていることや顔が面長なことに違和感を覚えた記憶があります。私は鎌倉のふくよかな大仏が好きです。
十数年ぶりの鎌倉は行きたいところがいっぱいで、一日では時間が前々足りません。見つけられなかった切通しやコースに入れられなかった史跡などを探しに、また近いうちににいくんと訪ねたいと思います。

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