天園ハイキング

姫あじさい

修験道をたずねて

天園ハイキングコースを歩いてまいりました。前回から2ヶ月。結婚記念日のこの日また懲りずに鎌倉を歩いてきました。梅雨真っ只中のためか、山の中は前回鎌倉歩きをしたときよりもずっと人が少なく、涼しくてとても気持ちがよかったです。
今回はあまり下調べをしていなかったので、選んだコースがここまで山道しかないところだとは思っていませんでした。梅雨時の山道はそこいらじゅう苔むしていたりぬかるんでました。
天園ハイキングコースの入り口も出口もいくつかあり、入り口は明月院裏手からを選びましたが、出口はいろいろありすぎて前日まで悩んでおりました。 出口付近の寺院を調べていると瑞泉寺に「どこもく地蔵」があるというのを知り、出口は瑞泉寺付近と決定しました。 (2005/7/3)


明月院

線路沿いにしばらく行き、左に曲がった先にあじさい寺とも呼ばれる明月院があります。明月院に行く途中にもあじさいが咲いているところがあって、なぜか観光客がそこにならんで次々に写真を撮っていました。
明月庵は永暦元年(1160)に平治の乱で戦死した首藤刑部大輔俊道の菩提供養として俊道の子、首藤刑部太夫山之内經俊により創建されました。のちのこの地に北条氏によって建立された最明寺を前身に禅興寺が創建されました。禅興寺は足利義満の時代に関東十刹の一位となり、明月庵は明月院と改められましたが、明治初期に禅興寺は廃寺となり明月院だけが残り今に至ります。
姫あじさい
姫あじさい 日本古来からの品種で淡い青色から深い青に日ごとに濃くなっていくのが特徴です。

明月院やぐら(羅漢洞)
明月院やぐら 「やぐら」は中世鎌倉時代特有の洞窟墳墓で、明月院のやぐらは鎌倉市現存の中で最大級です。
壁面中央に釈迦如来、多宝如来の二仏と両側に十六羅漢うぃ浮き彫りにし、中央に明月院中興開基、上杉憲方公をまつる塔、その前に香炉が安置されています。このやぐらは、京都で戦士したこの地の豪族、山之内俊道の菩提供養のために、その子どもである山之内経俊によって造られたと伝えられています。


甕の井 鎌倉十井のひとつ。岩盤を直接くり貫いて造ったとみられ、内部が水瓶のように膨らんでいることから瓶の井と呼ばれ、現在でも使える貴重な井戸だそうです。

天園ハイキングコースへ

鎌倉最長のハイキングコースで、途中には神奈川景勝50選の十王岩の展望があります。鎌倉の旧跡だらけでさくさく歩かなかったので、普通に歩くとどれくらいで歩けるのでしょうか・・・?

明月院近くのハイキングコース入り口
苔むした道 落雷で折れた大木 水がしみ出ている

左の写真は“十王岩” 閻魔大王が彫られています。右の写真は“貝吹地蔵”です。
段差のすごい岩 峠にあるお店
瑞泉寺側のハイキングコース入り口
瑞泉寺側のハイキングコース入り口

瑞泉寺

瑞泉寺は1327年(嘉暦2年)に二階堂道蘊によって建立されました。昭和45年に発掘され復元された夢窓疎石作池泉式の庭園や地蔵菩薩立像(どこもく地蔵)や様々な歌人の歌碑などがあります。
私が高校3年のときに円覚寺のお坊さんの講演会がありました。その中で特に印象に残ったのは「どこもく地蔵」のお話でした。このどこもく地蔵にひと目会いたくて、天園コースの出口として瑞泉寺付近を選びました。残念なことにどこもく地蔵の扉は閉ざされていて拝見することができませんでしたが、このお寺自体にとてもほっとする空気を感じました。
あとで瑞泉寺にいったことを母に話すと、私は子どものころに祖父に連れられて行ったことがあると言われました。
瑞泉寺入り口 花にかこまれた灯篭
瑞泉寺はひっそりとして静かで、いろいろな花があふれていました。
山門の横にある湧き水とお地蔵様  どこもく地蔵のお堂
山門の脇には湧水のよこにお地蔵様がおられました。残念なことにどこも苦地蔵の扉は閉じられていました。
岩庭 池にカモがいました
岩盤に庭の約束事である滝・池・中島をたくみにえぐって橋をかけ滝として流す貯水池まで刻んだとても趣のある岩庭。池には鴨がいました。

永福寺跡

瑞泉寺の門を出て少し山を降り、二階堂からの道と合流するあたりに国定史跡に指定されている永福寺(ようふくじ)跡があります。その場所だけぽっかりとした空間になっていて、とても不思議な感覚がしました。
鎌倉時代初期に源頼朝が平泉中尊寺の寺院に感銘を受け、建てたものだそうです。二階建ての建造物が建ったのでこの辺りは二階堂と呼ばれたそうです。現在発掘調査が進められていますが、まだ全貌は明らかになっていません。何しろ一部はテニスコートになっていたりするので・・・
永福寺跡 永福寺跡全貌

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