明日香マップ
猿石
吉備姫王墓内に置かれている4体の猿石は、江戸時代に小字池田の田から掘り出されました。かつては欽明天皇陵の南側に並べられていましたが、明治時代に今の場所に移されたそうです。 左上から女、山王権現、僧、男とよばれています。高取城にはつれ去られた一体の猿石が置かれているそうです。

鬼の俎板・鬼の雪隠
昔、鬼が旅人を捕まえてまな板で調理し、雪隠で用をたしたといわれています。実はまな板は底石、雪隠は蓋石として一つの石室をかたどっていたものだそうです。誰のお墓であったかは不明だそうです。

亀石
鬼の俎板からしばらくのどかな田舎道を行くと、売店があります。するとそのすぐ横に巨大で可愛い亀石がありました。
昔、大和が湖だったころ、湖の対岸の当麻と喧嘩になり、湖の水を取られてしまいました。湖に住んでいたたくさんの亀が死んでしまい、哀れに思った村人が亀を石に刻んで供養したそうです。今は南西を向いているけれども、西を向き当麻をにらみつけたときに大和盆地は泥沼になると言われています。

石舞台古墳
横穴式古墳で、7世紀初めに造られたとされています。被葬者は不明ですが、蘇我馬子の墓ではないかと言われています。
石舞台の名前の由来は、キツネが女の人に化けてこの上で踊ったっとされる説や、この地にやってきた旅芸人が舞台がなかったために、この上で演じたという説があります。もちろん今は石舞台に上るのは禁止されていますが、石室に入ることができます。
岡寺
正式には「東光山 真珠院 龍蓋寺」。西国三十三所観音霊場、第七番札所。日本最初の厄除け寺とのことです。災害を起こして村人を苦しめていた龍を法力で池に封じ込め、石で蓋をしたといわれている龍蓋池が本堂前にあります。
酒船石
何に使われていたのかは不明ですが、山の下にある亀型石造物と何らかの関係があるのではないかと考えられているそうです。
酒船石は見ると両側が削り取られているのが分かります。この削り取られた部分は高取城の城壁に使われているそうです。次回はぜひ高取城へ足を運び、連れ去られた猿石と削られ城壁にされている酒船石分身を探しにいきたいと思います。

亀型石造物
酒船石から下ったところに広範囲に遺跡があるのですが、ほとんどが埋め戻されて今はほんの一部だけが公開されています。水をくみ上げる部分はレプリカです。
これらを造ったのは斉明天皇だといわれています。 日本書紀に書かれている「宮の東側に築いた石垣」が見つかれば、山の上にある酒船石との関連性がわかってくるそうです。
四角い部分で不純物を沈殿させ、きれいな水を亀型に流したようです。儀式的なことに使われていたのではないかと、ボランティアのおじさんにお話をうかがうことができました。時間がもっとあれば、もっとたくさんお話を聞きたかったです。ああもったいないことをした。
よく見ると、敷き詰められた石にも円に置かれているなどの規則性があり、何時間でも見ていたくなる場所でした。(日陰がないのがつらいけど)

飛鳥寺
飛鳥寺はなんとものどかな場所にたっています。飛鳥大仏は鞍作止利が作った日本最古のもとされているが、鎌倉時代の火災で甚大な被害を被り、顔の上半分と右手の指の一部だけが最初に作られたものだそうです。ここはストロボをたかなければ写真撮影をさせてくれます。

蘇我入鹿首塚
飛鳥寺の西門からしばらくいくと、田んぼの真ん中にぽつんと入鹿の首塚とよばれる五輪塔がたっています。
飛鳥板蓋宮で暗殺された入鹿の首は鎌足を追いかけていきましたが、力尽きてこの地に落ちたといわれています。一方の鎌足が逃げ込んだ冬野川上流にある気都和既神社の森は、鎌足が「もうこぬだろう」と言ったとのことから「もうこんの森」とよばれているそうです。
右奥に見える丘が、 蘇我氏の屋敷があったとされる甘樫丘です。

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