天園ハイキングコースを歩いてまいりました。
前回から2ヶ月、結婚記念日のこの日また懲りずに鎌倉を歩いてきました。梅雨真っ只中のためか、山の中は前回鎌倉歩きをしたときよりもずっと人が少なく、涼しくてとても気持ちがよかったです。
今回はあまり下調べをしていなかったので、選んだコースがここまで山道しかないところだとは思っていませんでした。梅雨時の山道はそこいらじゅう苔むしていたりぬかるんでました。天園ハイキングコースの入り口も出口もいくつかあり、入り口は明月院裏手からを選びましたが、出口はいろいろありすぎて前日まで悩んでおりました。 出口付近の寺院を調べていると瑞泉寺に「どこもく地蔵」があるというのを知り、出口は瑞泉寺付近と決定しました。
線路沿いにしばらく行き、左に曲がった先にあじさい寺とも呼ばれる明月院があります。
永暦元年(1160)に平治の乱で戦死した首藤刑部大輔俊道の菩提供養として俊道の子、首藤刑部太夫山之内經俊により明月庵が創建されました。
のちのこの地に北条氏によって建立された最明寺を前身に禅興寺が創建されました。禅興寺は足利義満の時代に関東十刹の一位となり、明月庵は明月院と改められましたが、明治初期に禅興寺は廃寺となり塔頭のひとつであった明月院だけが残り今に至ります。
明月院のあじさいは姫あじさいという一種類だけが植えられていて、これは日本古来からの品種で淡い青色から深い青に日ごとに濃くなっていくのが特徴です。
明月院やぐら 「やぐら」は中世鎌倉時代特有の洞窟墳墓で、明月院のやぐらは鎌倉市現存の中で最大級です。
壁面中央に釈迦如来、多宝如来の二仏と両側に十六羅漢うぃ浮き彫りにし、中央に明月院中興開基、上杉憲方公をまつる塔、その前に香炉が安置されています。このやぐらは、京都で戦士したこの地の豪族、山之内俊道の菩提供養のために、その子どもである山之内経俊によって造られたと伝えられています。
天園ハイキングコースは鎌倉最長のハイキングコースで、途中には神奈川景勝50選の十王岩の展望などがあります。鎌倉の旧跡だらけでさくさく歩かなかったのすが、4kmほどの山道で一般的に4時間ほどで歩けるコースだそうです。
明月院より少し奥まった住宅街に入口があります。
道はところどころ水が沁み出ていて、苔むしています。
十王岩は神奈川景勝50選の十王岩の展望ですが、この岩には登ることはできません。岩の下側には閻魔大王など3体が彫られています。
ハイキングコースの途中にはかなりの段差のある岩があり、湿って苔むしているため用心が必要です。
獅子舞への分かれ道の手前の峠にお茶屋さんがあります。天園ハイキングコースでお店があるのはここだけです。
大平山を越えて瑞泉寺の裏山までくると、貝吹き地蔵があります。
新田義貞による鎌倉攻めのときのこと、新田軍が攻め入ってきたことをほら貝を吹いて知らせてくれたとか、東勝寺で自害した北条高時の首を取られまいとした家来が埋める場所に窮していると、このお地蔵さまが貝を吹いて天園へと導いてくれたという伝説があるお地蔵さまです。
瑞泉寺裏山には鬱蒼とした中に北条首やぐらや瑞泉寺やぐら群があり、一人ではとても心細くて来られない場所でした。。
瑞泉寺の裏山は、ますます滑りやすくて慎重を要しました
ようやく瑞泉寺側の入り口へ到着です。
瑞泉寺は1327年(嘉暦2年)に二階堂道蘊によって建立されました。昭和45年に発掘され復元された夢窓疎石作池泉式の庭園や地蔵菩薩立像(どこもく地蔵)や様々な歌人の歌碑などがあります。
私が高校3年のときに円覚寺のご住職の講演会がありました。その中で特に印象に残ったのは「どこもく地蔵」のお話でした。このどこもく地蔵にひと目会いたくて、天園コースの出口として瑞泉寺付近を選びました。
残念なことにどこもく地蔵の扉は閉ざされていて拝見することができませんでしたが、このお寺自体にとても懐かしくほっとするような空気を感じました。
あとで瑞泉寺にいったことを母に話すと、私は子どものころに祖父に連れられて行ったことがあると言われ納得しました。
境内はどこもひっそりとして静かで、いろいろな花があふれていました。山門の脇には湧水の横にはひっそりとお地蔵様がおられました。
本堂の裏側には、岩盤に庭の約束事である滝・池・中島をたくみにえぐって橋をかけ滝として流す貯水池まで刻んだとても趣のある岩庭があります。池には鴨がくつろいでいました。