鎌倉二十四地蔵

宝戒寺の境内にひっそりと

私たちを救済してくれるお地蔵様

  子こざるがおなかにいるときに、宝戒寺で安産祈願のお守りをいただきました。札所めぐりを再開するにあたって無事に生まれた報告とお礼をまずしようとしたところ、この宝戒寺が鎌倉二十四地蔵の一番札所だとわかり、ご本尊「経読子育て地蔵」におまいりして発願いたしました。
  お釈迦様が亡くなってから弥勒菩薩が登場するまでの間、わたしたちを救済してくれるのが地蔵菩薩です。また閻魔大王とは地蔵菩薩の化身であるといわれています。地蔵菩薩のご真言は「オン カカカ ビサンマエイ ソワカ 」です。
[2007年10月13日発願(ほつがん)]


鎌倉二十四地蔵マップ

第一番札所 宝戒寺 【子育て経読地蔵尊】

  この土地には代々北条氏の執権が住んだ屋敷がありました。鎌倉攻めの最後の激戦地となり、寺南東側にある腹切りやぐら(東勝寺跡)で執権北条高時以下北条一門が自害したと言われています。その北条一族の怨霊を鎮めるために後醍醐天皇が足利尊氏に命じてこの地に建立させたそうです。本堂には本尊で地蔵としてはめずらしい坐像の子育経読地蔵大菩薩(国重文・鎌倉二十四地蔵尊一番札所)と准胝観世音菩薩が安置されています。一年を通じてさまざまな花が咲き、特に秋には境内一面に萩の白い花が咲くので「萩寺」とも呼ばれています。
 名前の由来は、「宝戒寺の門前でこどもが生まれそうになったときに、取り上げて世話をしてくれたお坊さんが地蔵菩薩の化身だった」とか「毎晩聞こえる読経が地蔵菩薩なのではないか」という言い伝えからついたそうです。
2007年10月13日

宝戒寺本堂 大きな二十四地蔵の碑

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第二番札所 来迎寺 【岩上地蔵尊】

  西御門の来迎寺は、八幡宮よりさらに奥まった閑静なところにあり、永仁元年(1293)に一遍上人により開山されたとされています。本山は藤沢の遊行寺です。本尊は阿弥陀如来で鎌倉十三仏の第十番札所になっています。本堂にはほかに廃寺より移された如意輪観世音菩薩、地蔵菩薩、抜陀婆羅尊者像が祭られています。
  関東大震災で本堂が壊れ、現在の本堂は1994年に建てられたものです。本堂の扉には仏像は美術品ではないので見学はお断りと書かれていますが、参拝は申し込めばさせていただけます。
 前回三十三観音めぐりで訪れたときにはお堂の外からお参りをしましたが、今回は参拝を申し込み納経をしてまいりました。 岩上地蔵はもとは報恩寺の本尊で宅間浄宏作と考えられています。衣の写実的なひだや八の字の開かれた袖などは宋朝様式の典型でこの時代の指標的作例と注目されてます。残念なこと数日前まで鎌倉国宝館へ出陣されていたためにまだ戻されておらず、写真でしか拝見することができませんでした。
2007年11月18日

来迎寺本堂

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第三番札所 覚園寺 【黒地蔵尊】

  境内には手広から移築された江戸時代の旧家や、十三仏が祭られた手堀の洞窟、そして鎌倉二十四地蔵である黒地蔵(国重文)が祭られているお堂があります。
 黒地蔵は、地獄で業火に焼かれる罪人の苦しみを和らげようと自ら火を焚き、その火で焼かれて黒く煤けてしまったと言われています。黒地蔵の縁日の8月10日は毎年盛況で、除災と開運を祈願する黒地蔵施我鬼が行われます。 覚園寺は鎌倉十三仏と同時にまわったため、お寺の詳細については「第十一番札所 覚園寺 【阿しゅく如来】」をご覧ください。
2007年11月18日

覚園寺山門

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第四番札所 杉本寺 身代地蔵尊

  鎌倉二十四地蔵めぐりを始めたのが、ちょうど一年前のこの日でした。この間も毎月のように鎌倉を訪れてはいたものの、他に優先することがあったため、地蔵めぐりが三番札所で止まっていました。発願が一年前の同じ日というのも何かの縁と思い、一番札所である宝戒寺にお参りをしてから杉本寺へと向かいました。
 杉本寺は鎌倉最古のお寺です。磨り減って苔むした参道の階段に、歴史を感じることができます。 (詳しくは「鎌倉三十三観音 第一番札所 杉本寺」をごらんください。)
  境内に上がると、本堂に向かって右にお地蔵様が並んで置かれています。その一番右にある石仏が身代地蔵のお前立ちだそうです。当の身代地蔵はどちらにおられるかというと、本堂の左奥に祀られています。(資料によっては外の石仏が身代地蔵尊と書かれているものもあるのですが、お寺の方のお話だと石仏はお前立ちとのことです) 三浦氏の勢力争いのときに、杉本太郎義宗に放たれた矢がこのお地蔵さまにあたると、そこから血がにじみだしたといわれています。
2008年10月13日

杉本寺 境内のお地蔵様と三浦一族の五輪塔

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第五番札所 光触寺 塩嘗地蔵尊

 観光客の多い中心街を抜け、ひたすら歩いて十二所までくると人も車もまばらになります。そんな静かな谷に光触寺はあります。 山門をくぐると、正面に開基である一遍上人の像があります。その並びに塩嘗地蔵が祀られています。
  朝夷奈切通しを越えて鎌倉へ商いをしにきた塩売りが、初穂としてこのお地蔵さまに塩を供えると、帰りには塩が無くなっていたので、「お地蔵さまが塩をなめた」といわれたことからこの名が付きました。
 光触寺でお参りをして納経をし、ご朱印をお願いして待っていると、突然本堂の中で鐘がなりお地蔵様の経文が唱えられました。ご住職がわざわざ私たちのためだけにお経をあげてくださったのです。 今まで二つの巡礼を終えて満願しましたが、このようにお経をあげていただいたのは初めてのことで、とても感激しいたしました。ご丁寧にありがとうございました。
2008年10月13日

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第六番札所 杉本寺 尼将軍地蔵尊

  尼将軍地蔵は本堂奥の身代地蔵の隣に祀られています。尼将軍といえば北条政子のことだと思われるのですが、詳細は不明だとのことです。
2008年10月13日

杉本寺本堂

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第七番札所 瑞泉寺 どこも苦地蔵尊

 紅葉ヶ谷の奥にある瑞泉寺は、私が大好きなお寺の一つです。 このお寺は谷戸の一番奥にあり、そのすぐ後ろに控える山の上は天園と呼ばれています。
  鎌倉二十四地蔵ひとつであるどこも苦地蔵は、私が高校3年生のときに学校で開かれた講演の場で円覚寺のご住職よりお聞きして以来、ずっとこのお地蔵さまにお会いしたかったのです。でもどこに祀られているのかさえ分からず、それから二十年近くが過ぎていました。 そんなある日、鎌倉にハイキングに来ようとしてコースを選ぶために色々と調べていたら、この瑞泉寺にお堂があることがわかりました。 残念なことにそのハイキングの日にはお堂が閉められていたため、どこも苦地蔵さまにお目にかかることができずにいましたが、やっと昨年鎌倉三十三観音巡礼のときにお目にかかることがかないました。
 なぜ「どこも苦地蔵」と呼ばれるのかというと、その昔このお地蔵さまは扇ガ谷にあって、堂守が貧しさのあまりそこを逃げ出そうとしたのです。すると、お地蔵さまが夢にあらわれ、「どこもく、どこもく」と言われたそうです。すると堂守は、どこへ逃げても苦しいのは同じだと悟ったといわれ、その伝説から「どこも苦地蔵」の名がついたとされています。
  どこも苦地蔵堂のすぐ横には、夢想疎石が岩盤を切り抜いて作ったとされる庭園が復元されていおり、国の名勝に指定されています。この庭から上の山に登ったところにへん界一覧亭跡があるのですが、今は行けなくなっています。(「へん」は行にんべんに扁)
2008年11月1日

どこも苦地蔵のお堂

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第八番札所 圓應寺 【託言地蔵尊】

 北鎌倉から建長寺の前を過ぎると、巨福呂坂洞門の手前右側に圓應寺に上る階段があります。 圓應寺の本堂には十王が祀られており、正面におられる閻魔大王坐像は運慶の作と伝えられています。
  閻魔大王像は他の十王に比べるとかなり大きいものです。顔は笑っているように見えるため、「笑い閻魔」とも呼ばれています。(詳細については「鎌倉十三仏 圓應寺」をご覧ください)ぐるりと十王が並べられている本堂に向かって左端に、鎌倉二十四地蔵の詫言(わびごと)地蔵(延命地蔵)尊が祀られています。 このお地蔵様におまいりをすると、自分の代わりに閻魔大王に謝ってくださるといわれています。 でも閻魔大王は地蔵菩薩の化身なので・・・思わずどこぞの金さんを思い出してしまいました。
2008年11月23日

十王堂

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第九番札所 建長寺 【心平寺地蔵尊】

 昔、建長寺のある谷には、地獄谷と呼ばれる刑場と心平寺というお寺がありましたが、廃寺となりお堂だけが残りました。 お堂は建長寺を建てるときに巨福呂坂上に移されましたが、明治の道路整備の折に横浜にある三渓園へと移築され、原家の持仏堂「天授院」として使われていました。(重要文化財)現在も三渓園を訪れるとお堂を見ることができます。
  心平寺地蔵は、建長寺の仏殿のご本尊に向かって右側の壁に千体地蔵に囲まれて祀られています。 堂内は暗く、斜めからの拝観になるので、かろうじて錫杖を拝見することができます。
2008年11月23日  

心平寺地蔵と千体地蔵 三渓園に移築されたお堂

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第十番札所 建長寺【済田地蔵尊】

 昔、無実の罪で斎田左衛門という人が斬首されようとしていましたが、何度斬ろうとしても刀が折れてしまうので不思議に思っていると、斎田左衛門は「私は地蔵菩薩を信仰しており、地蔵菩薩像を身から離したことがなく、今も髻の中に納めています。」と言いました。 調べてみると髻の中から刀傷のついた地蔵像が出てきたため、深い信仰心のために無罪となったそうです。

2008年11月23日

建長寺仏殿

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第十一番札所 建長寺【勝上岳地蔵尊】

  建長寺の鎮守の半増坊大権現の右側、一段高くなったところに勝上岳の地蔵堂があります。
お堂はお参りする人でにぎやかな半蔵坊からすぐのところにあるのですが、勝上岳展望台へ行く人たちの目にはなかなかとまらないようです。 ここが天園ハイキングコースの建長寺口となります。上りきってしばらく行くと、十王岩や朱樽木やぐら、かながわ景勝50選「十王岩からの眺め」を見ることができます。
2008年11月23日

勝上岳地蔵のお堂 天狗の像

 

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第十二番札所 浄智寺【聖比丘尼地蔵尊】

  浄智寺の地蔵尊は鎌倉時代後期のものといわれ、現在はお寺ではなく鎌倉国宝館に寄託されおり、いつ訪れてもお会いすることができるので常時展示されているようです。名前の由来などについては分かっていないとのことです。
2009年1月4日

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第十三番札所 正続院【手引地蔵尊】

 円覚寺開山無学祖元(仏光国師)の塔頭である正続院に祀られていますが、由来などはわからないとのことです。
  境内には国宝舎利殿もありますが、正続院は修行道場のため門より中へは立ち入ることはできません。毎年11月に行われる宝物風入れの際には、正続院の門より入り舎利殿の正面まで行ってお参りすることができます。宝物風入れについては円覚寺の公式サイトをご参照ください。
2009年1月4日

正続院

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第十四番札所 佛日庵【延命地蔵尊】

 佛日庵の門をくぐると正面に開基廟、左に延命地蔵尊を祀る新本堂があります。境内には玉砂利が敷き詰められ、赤い布をかけた長椅子が置かれており、こちらでお抹茶をいただくことができます。私たちがお茶をいただいている間、リスの泣き声が谷戸に響いていました。拝観料は100円、抹茶代込み拝観料は500円です。(お抹茶には鳩の形をした落雁がついてきます)佛日庵については鎌倉三十三観音第三十三番もご参照ください。
  新本堂に祀られている延命地蔵尊は南北朝時代のものといわれていますが、資料が少なくこれ以上はわかりませんでした。偶然にもご朱印を書いてくださった方のお孫さんと我が家の子こざるが、同じ年の同じ日の生まれでした。それだけでなく、佛日庵に祀られている北条時宗・貞時・高時のうち、第十四代執権の高時の命日が、子こざるの生まれた5月22日であったということもわかりました。なんとも不思議な縁を感じたお参りとなりました。
2009年1月4日

新本堂 鳩の落雁とお抹茶

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第十五番札所 海蔵寺【岩船地蔵尊】

 岩船地蔵堂は扇ガ谷の扇の井近くの丁字路にあります。境外堂として海蔵寺が管理しているため、海蔵寺に納経しご朱印をいただきます。 源頼朝と北条政子の娘大姫の供養のために木造地蔵菩薩立像が祀られています。胎内銘札によると、この木造地蔵菩薩像は元禄三年(1691)にお堂を再建したときに造られたものだそうです。

  お堂は建かえられ現在はきれいな八角堂なのですが、以前の古びたお堂のときには床下に石造りの地蔵像が置かれていたとのことです。この石造りの地蔵像は大姫の守り本尊で、約130cmの舟形をした光背を背負っているため、岩船地蔵と呼ばれるようになったようです。
 現在はお堂の奥に岩船地蔵尊が祀られ、そのお前立ちとして木造地蔵菩薩立像が置かれています。お前立は白いお顔をされており、何とも物悲しげに映るのは、時代に翻弄された大姫のはかない生涯が思い起こされるからでしょうか。
2009年3月21日

岩船地蔵堂

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第十六番札所 浄光明寺【綱引地蔵尊】

  浄光明寺は源頼朝の願により文覚上人がお堂を建てたことがはじまりとされ、そこに真阿(真聖国師)を開山として6代執権の北条長時が建長三年(1251)に創建したとされています。
 元弘三年(1333)に後醍醐天皇の勅願寺となりました。また勧学院(真言・天台・禅・浄土の4つ)を建て、学問道場の基礎が築かれました。 足利尊氏・直義兄弟の帰依も厚く、寺領や仏者利などの寄進を受けた文書が浄光明寺に残されています。
  浄光明寺本堂の裏手のがけを登ると広い空間に出ます。今は冬で下草程度でしたが、昨年の夏に訪れたときには草が背丈ほども伸びていて、掻き分けながら進まなくてはならないほどでした。そのつきあたりの大きなやぐらに、網引地蔵が祀られています。この地蔵像は石造りのもので、昔由比ガ浜で漁の網にかかって引き上げられたと伝えられていますが、網にひっかかったというのが疑問に思うほど、この地蔵尊はとてもがっしりとした大きな像です。 このやぐらの左手に上へ行ける階段があり、上りきったところに冷泉家の祖である冷泉為助の墓といわれる宝篋印塔があります。
2009年3月21日

綱引地蔵

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第十七番札所 浄光明寺【矢捨地蔵尊】

  浄光明寺の古い仏殿の隣、ご本尊の阿弥陀三尊が祀られている建物の中に矢拾地蔵尊が置かれています。手には矢の形をした錫杖を持っています。 これは足利直義の守本尊と言われ、ある戦いで矢がなくなって困っていたところに、ひとりの子どもの僧が矢を拾い集めて差し出しました。家に帰り本尊を見ると、錫杖とともに一本の矢を持っていたという言い伝えがあります。
 この「ある戦い」というのは建武二年(1335)にあった北条時行が鎌倉幕府復興を図って挙兵した中先代の乱(なかせんだいのらん)のことなのでしょうか。
2009年3月21日

浄光明寺参道

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第十八番札所 壽福寺【南無地蔵尊】

 壽福寺の地蔵菩薩像は、蓮華座までを含む全てが一木から作られていて、鎌倉時代としてはめずらしいものです。外門から山門まで石畳と木々が続き、歴史と格式を感じさせてくれます。境内は正面に仏殿、その前庭には柏槙の古木が4本植えられていて、宋風禅寺の庭らしさを見ることができます。
  浄智寺のお地蔵様とおなじく鎌倉国宝館に寄託されているため、真近でお参りすることができます。
2009年3月21日

壽福寺仏殿

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第十九番 東漸寺 【日金地蔵尊】

  日金(ひがね)地蔵尊は、鎌倉ではなく横須賀市武にある東漸寺に祀られています。かつては雪ノ下の廃寺になった松源寺のご本尊でしたが、明治の神仏分離令により長谷寺に移され、その後も転々とした後、大正初期にこちらに安置されたとのことです。
 治承四年(1180)に源頼朝が、伊豆の日金山の地蔵尊に源氏再興を祈願し、それがかなったために、その地蔵像を模して作られたと伝えられています。 参道の急な階段を登りきると、とても立派な木が迎えてくれます。木肌からするとスダジイでしょうか。本堂に上がらせていただくと、正面にご本尊である阿弥陀如来像が祀られ、その右手に日金地蔵尊が祀られていました。岩の上に座している地蔵尊は思った以上に大きく、お顔はふくよかで、片足をもう片方の足の上に置いて座っている半跏像で、地蔵尊としては珍しいものだそうです。
  胎内の墨書銘には寛正三年(1462)に大仏師宗円によって作られたと書かれており、年代製作者ともにはっきりとしている貴重なもので、横須賀市の重要文化財に指定されています。
2009年4月5日

東漸寺山門 東漸寺本堂

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第二十番 極楽寺 【導地蔵尊】

 極楽寺トンネルが見える橋のすぐ横に、赤い屋根の導地蔵堂があります。 このお地蔵様は全体的に黒っぽい等身大のお姿で、心なしか前のめりになっているように感じました。お地蔵様のその視野の中では、子どもたちを見守って災難から守ってくださると言われています。
  お堂は縁側が広く、腰を下ろして休む人たちをよく見かけるのですが、それを快く受け入れてくださっているようなお堂です。我が家もこの日は縁側の脇のほうをお借りして休憩しましたが、お地蔵様にお参りすることなくいきなり背を向けて座ったと思ったら、次に寝そべり携帯電話をいじりだした人がいたのには驚きでした。余所様の軒先をお借りするときには、挨拶はするものですよね。それは地蔵堂だって同じで「ちょっと休ませてください」とお断りするのが筋だと思うのですが・・・。
 お参りした後に、お堂を管理されている極楽寺に納経をし御朱印をいただきました。
2009年5月3日

導地蔵堂 導地蔵

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第二十一番 極楽寺 【月影地蔵尊】

 月影地蔵堂はお堂の前の扉は広く開けられていて、白いお顔で赤い衣を纏った等身大のお地蔵様が迎えてくれました。石仏の並ぶ参道はほどよく手入がされていて、その雰囲気の良さから地域の方々に大事にされているのが伝わってきます。
  昔は月影ケ谷にあったのですが、いつのころかこちらに移されたとのことです。月影地蔵は古くからあるそうですが、もともとのものは火災で焼失してしまい現在のものは江戸時代に作られたものだとのことです。極楽寺よりもだいぶ奥まったところにあるため、観光客の姿もなく、風のそよぐ音と鶯や烏の鳴く声だけが谷戸に響いていました。
 導地蔵堂と同様に極楽寺が管理されているため、お参り後に極楽寺へ納経し御朱印をいただきました。

月影地蔵堂

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第二十二番札所 光明寺 【延命地蔵尊】

  本堂に向かって右手前にある小ぶりのお堂に延命地蔵尊が祀られています。このお地蔵さまは安山岩で造られていて、正中二年(1325)の銘があり古くからあるお地蔵さまのようですが、光背は江戸時代につけられたものとのことです。もともとは“大悲窟”という光明寺の裏の山腹にあったやぐらのなかに祀られていたそうです。このお地蔵さまは「網引地蔵尊」という名でも呼ばれています。
 本堂の左側にある小堀遠州の作と伝わる記主庭園では、古代蓮が花盛りで、赤い色の花弁が池の水によく映えていました。
2009年7月19日

延命地蔵のお堂 延命地蔵尊

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第二十三番札所 延命寺 【身代地蔵尊】

  このお地蔵さまは北条時頼夫人の守護仏であったとされ、鎌倉に4体ある写実的な裸像のひとつです。
  ある日、北条時頼と夫人が双六遊びをしていたときに、負けた方が裸になるという賭けをしました。負けそうになった夫人がお地蔵さまを念じると、裸のお地蔵さまが双六盤の上に現れて夫人を救ったという言い伝えがあります。
 裸像には法衣が着せられ、双六盤の上置かれ本堂に祀られています。拝観には事前に予約が必要ですが、本堂のガラス越しにちらりと拝見することができます。写真ではわかりませんが、本堂の屋根の天辺についているのは源氏の家紋である「笹竜胆」です。
2009年7月19日

延命寺本堂

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第二十四番札所 安養院 【日限地蔵尊】

山門を入ってすぐ左に、決まった日数以内に願いをかなえてくれるという日限地蔵尊が祀られています。地蔵堂のすぐ隣にある大きな槙の木は樹齢約700年という古木で、開山である尊観上人による手植えと伝えられています。
石造りのお地蔵さまの前にしゃがんでお参りすると、立ったまま拝見するのとではまったく違うお顔の表情をされます。まるで、視線の先にいる私たちに気さくに話しかけてくれているような印象を受けました。

地蔵堂と槇の木 日限地蔵尊

日限地蔵尊をもって、鎌倉二十四地蔵札所めぐりは結願となりました。発願から約2年かかっての結願は、満願したという充実感とともに何だか心にぽっかりと空間ができてしまったような感覚があり、少し寂しい思いがします。これで鎌倉の3つの札所めぐり全ての満願となるから、感慨もひとしおなのかもしれません。 鎌倉を冠する札所めぐりはとりあえずこれで終わりですが、これからももっと鎌倉を深く知るためにまめに通い続けたいと思っています。
2009年7月19日 結願

結願

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