鎌倉時代には鎌倉を起点とした鎌倉往還が整備され、鎌倉の内には京都の朱雀大路を模して作った若宮大路や横大路や二階堂大路などの大路、長谷小路や田楽辻子などが作られました。
現在では、切通以外に古道の趣を残すものは極わずかとなっています。
梶原太刀洗水と朝夷奈の落ち葉を撮りに行き、その足で名越切通へ行くにはどう行くのがベストなのか・・・先日悩んだ末に買った鎌倉市住宅地図と資料を調べて「巡礼古道」に決めました。
「巡礼古道」とは、坂東三十三観音霊場の第一番札所である杉本寺から、二番札所の岩殿寺へ向かう巡礼道であったとのことです。
六浦道から華の橋を渡り報国寺の横を通り少し行ったところの左側に、「巡礼古道」と書かれた札が掛かる狭い路地があります。かなり狭い路地なので、気をつけていないと見落としてしまいそうです。
山道に入ってわりとすぐに平場があり、その岩肌には「金剛窟地蔵尊」と書かれたかなり風化の進んだ磨崖仏が彫られています。巡礼古道のあちこちで、大きな石を薄く切ったような庚申塔や、やぐら群や石切場跡などを見ることができます。
途中、鎌倉逗子ハイランド宅地開発のために古道は寸断されていますが、住宅街の脇の公園の中を抜けていくと再び古道へ入る道があります。古道へ入り4~5百メートルほど行くと、平場に珍しい形をした石廟が2基置かれています。鎌倉時代後期から室町時代のもので、市の文化財に指定されています。
石廟からすぐのところで大きな塀にぶつかります。左は法性寺の方へ降りる道がありますがここは右へ向かいます。少し行くと、左の崖下にグリーンのシートが敷かれているのが目に入ります。鎌倉時代に名越山が葬地とされていたときに、供養のために置かれた曼荼羅堂の跡とされています。発掘中と思わせるグリーンのシートはなんとも違和感のあるものでしたが、こんなに暮れも押し迫っているというのに、まだ紅葉が赤々としていてとてもきれいでした。
曼荼羅堂跡のすぐそばにある広い平場では、昭和に建てられた供養塔にカラスが群がっていて何とも不気味でした。
ここを抜けるとすぐに名越切通に合流します。ここから先は、鎌倉七切通「名越切通」をご覧ください。