札所 | 山号 寺院名 | 宗派 | 三十三観音 | 所在地 |
---|---|---|---|---|
第一番 | 大蔵山 杉本寺 | 天台宗 | 十一面観世音菩薩 | 二階堂903 |
第二番 | 金龍山 宝戒寺 | 天台宗 | 准胝観世音菩薩 | 小町3-5-22 |
第三番 | 祇園山 安養院田代寺 | 浄土宗 | 千手観世音菩薩 | 大町3-1-22 |
第四番 | 海光山 長谷寺 | 浄土宗 | 十一面観世音菩薩 | 長谷3-11-2 |
第五番 | 満光山 来迎寺 | 天台宗 | 如意輪観世音菩薩 | 西御門1-11-1 |
第六番 | 錦屏山 瑞泉寺 | 臨済宗円覚寺派 | 千手観世音菩薩 | 二階堂710 |
第七番 | 岩蔵山 光触寺 | 時宗 | 聖観世音菩薩 | 十二所793 |
第八番 | 飯盛山 明王院 | 真言宗御室派 | 十一面観世音菩薩 | 十二所32 |
第九番 | 稲荷山 浄妙寺 | 臨済宗建長寺派 | 聖観世音菩薩 | 浄妙寺3-8-31 |
第十番 | 功臣山 報国寺 | 臨済宗建長寺派 | 聖観世音菩薩 | 浄妙寺2-7-4 |
第十一番 | 帰命山 延命寺 | 浄土宗 | 聖観世音菩薩 | 材木座1-1-3 |
第十二番 | 中座山 教恩寺 | 時宗 | 聖観世音菩薩 | 大町1-4-29 |
第十三番 | 稲荷山 別願寺 | 時宗 | 魚らん観世音菩薩 | 大町1-11-4 |
第十四番 | 随我山 来迎寺 | 時宗 | 聖観世音菩薩 | 材木座2-9-19 |
第十五番 | 円龍山 向福寺 | 時宗 | 聖観世音菩薩 | 材木座3-15-13 |
第十六番 | 内裏山 九品寺 | 浄土宗 | 聖観世音菩薩 | 材木座3-13-14 |
第十七番 | 南向山 補陀落寺 | 真言宗大覚寺派 | 十一面観世音菩薩 | 材木座6-7-31 |
第十八番 | 天照山 光明寺 | 浄土宗 | 如意輪観世音菩薩 | 材木座6-17-19 |
第十九番 | 天照山 蓮乗院 | 浄土宗 | 十一面観世音菩薩 | 材木座6-16-15 |
第二十番 | 天照山 千手院 | 浄土宗 | 千手観世音菩薩 | 材木座6-12-8 |
第二十一番 | 普明山 成就院 | 真言宗大覚寺派 | 聖観世音菩薩 | 極楽寺1-1-5 |
第二十二番 | 霊鷲山 極楽寺 | 真言律宗西大寺派 | 如意輪観世音菩薩 | 極楽寺3-6-7 |
第二十三番 | 大異山 高徳院 | 浄土宗 | 聖観世音菩薩 | 長谷4-2-28 |
第二十四番 | 亀谷山 壽福寺 | 臨済宗建長寺派 | 十一面観世音菩薩 | 扇ガ谷1-17-7 |
第二十五番 | 泉谷山 浄光明寺 | 真言宗泉涌寺派 | 千手観世音菩薩 | 扇ガ谷2-12-1 |
第二十六番 | 扇谷山 海蔵寺 | 臨済宗建長寺派 | 十一面観世音菩薩 | 扇ガ谷4-18-8 |
第二十七番 | 若昇山 妙高院 | 臨済宗建長寺派 | 聖観世音菩薩 | 山ノ内9 |
第二十八番 | 巨福山 建長寺 | 臨済宗建長寺派 | 千手観世音菩薩 | 山ノ内8 |
第二十九番 | 蓬菜山 龍峰院 | 臨済宗建長寺派 | 聖観世音菩薩 | 山ノ内101 |
第三十番 | 福源山 明月院 | 臨済宗建長寺派 | 如意輪観世音菩薩 | 山ノ内189 |
第三十一番 | 金宝山 浄智寺 | 臨済宗円覚寺派 | 聖観世音菩薩 | 山ノ内1402 |
第三十二番 | 松岡山 東慶寺 | 臨済宗円覚寺派 | 聖観世音菩薩 | 山ノ内136 |
第三十三番 | 佛日庵 | 臨済宗円覚寺派 | 十一面観世音菩薩 | 山ノ内434 |
札所 | 山号 寺院名 | 宗派 | 二十四地蔵 | 所在地 |
---|---|---|---|---|
第一番 | 金龍山 宝戒寺 | 天台宗 | 子育経読地蔵尊 | 小町3-5-22 |
第二番 | 満光山 来迎寺 | 天台宗 | 報恩寺地蔵尊(岩上) | 西御門1-11-1 |
第三番 | 鷲峰山 覚園寺 | 真言宗泉桶寺派 | 黒地蔵尊 | 二階堂421 |
第四番 | 大蔵山 杉本寺 | 天台宗 | 身代地蔵尊 | 二階堂903 |
第五番 | 岩蔵山 光触寺 | 時宗 | 塩嘗地蔵尊 | 十二所793 |
第六番 | 大蔵山 杉本寺 | 天台宗 | 尼将軍地蔵尊 | 二階堂903 |
第七番 | 錦屏山 瑞泉寺 | 臨済宗円覚寺派 | どこもく地蔵尊 | 二階堂710 |
第八番 | 新居山 圓應寺 | 臨済宗建長寺派 | 詫言地蔵尊 | 山ノ内1543 |
第九番 | 巨福山 建長寺 | 臨済宗建長寺派 | 新平寺地蔵尊 | 山ノ内8 |
第十番 | 〃 | 〃 | 済田地蔵尊 | 〃 |
第十一番 | 〃 | 〃 | 勝上けん地蔵尊 | 〃 |
第十二番 | 金宝山 浄智寺 | 臨済宗円覚寺派 | 聖比丘尼地蔵尊 | 山ノ内1402 |
第十三番 | 円覚寺塔頭 正続院 | 臨済宗円覚寺派 | 手引地蔵尊 | 山ノ内434 |
第十四番 | 佛日庵 | 臨済宗円覚寺派 | 延命地蔵尊 | 山ノ内434 |
第十五番 | 扇谷山 海蔵寺 | 臨済宗建長寺派 | 岩船地蔵尊 | 扇ガ谷3-3 |
第十六番 | 泉谷山 浄光明寺 | 真言宗泉涌寺派 | 網引地蔵尊 | 扇ガ谷2-12-1 |
第十七番 | 〃 | 〃 | 矢拾地蔵尊 | 〃 |
第十八番 | 亀谷山 壽福寺 | 臨済宗建長寺派 | 南無地蔵尊 | 扇ガ谷1-17-7 |
第十九番 | 東漸寺 | 浄土宗 | 白金地蔵尊 | 横須賀市武2-12-13 |
第二十番 | 霊鷲山 極楽寺 | 真言律宗西大寺派 | 導地蔵尊 | 極楽寺3-6-7 |
第二十一番 | 〃 | 〃 | 月影地蔵尊 | 極楽寺3-6-7 |
第二十二番 | 天照山 光明寺 | 浄土宗 | 延命地蔵尊 | 材木座6-17-19 |
第二十三番 | 帰命山 延命寺 | 浄土宗 | 身代地蔵尊 | 材木座1-1-3 |
第二十四番 | 祇園山 安養院田代寺 | 浄土宗 | 日限地蔵尊 | 大町3-1-22 |
札所 | 山号 寺院名 | 宗派 | 十三仏 | 所在地 |
---|---|---|---|---|
第一番 | 飯盛山 明王院 | 真言宗御室派 | 不動明王(秦広王) | 十二所32 |
第二番 | 稲荷山 浄妙寺 | 臨済宗建長寺派 | 釈迦如来(初江王) | 浄明寺3-8-31 |
第三番 | 妙厳山 本覚寺 | 日蓮宗 | 文殊菩薩(宋帝王) | 小町1-12-12 |
第四番 | 亀谷山 壽福寺 | 臨済宗建長寺派 | 普賢菩薩(五官王) | 扇ガ谷1-17-7 |
第五番 | 新居山 圓應寺 | 臨済宗建長寺派 | 地蔵菩薩(閻魔王) | 山ノ内1543 |
第六番 | 金宝山 浄智寺 | 臨済宗円覚寺派 | 弥勒菩薩(変成王) | 山ノ内1402 |
第七番 | 扇谷山 海蔵寺 | 臨済宗建長寺派 | 薬師如来(泰山王) | 扇ガ谷4-18-8 |
第八番 | 功臣山 報国寺 | 臨済宗建長寺派 | 聖観世音菩薩(平等王) | 浄明寺2-7-4 |
第九番 | 泉谷山 浄光明寺 | 真言宗泉涌寺派 | 勢至菩薩(都市王) | 扇ガ谷2-12-1 |
第十番 | 満光山 来迎寺 | 天台宗 | 阿弥陀如来(五道輪廻王) | 西御門1-11-1 |
第十一番 | 鷲峰山 覚園寺 | 真言宗泉涌寺派 | 阿しゅく如来(蓮上王) | 二階堂421 |
第十二番 | 霊鷲山 極楽寺 | 真言律宗西大寺派 | 大日如来(抜苦王) | 極楽寺3-6-7 |
第十三番 | 普明山 成就院 | 真言宗大覚寺派 | 虚空蔵菩薩(慈恩王) | 極楽寺1-1-5 |
不動明王(初七日)・釈迦如来(二七日)・文殊菩薩(三七日)・普賢菩薩(四七日)・地蔵菩薩(五七日)・弥勒菩薩(六七日)・
薬師如来(七七日)・観音菩薩(百ケ日)・勢至菩薩(一周忌)・阿弥陀如来(三回忌)・阿如来(七回忌)・大日如来(十三回忌)・
虚空蔵菩薩(三十三回忌)のように、それぞれ法事をつかさどる仏様を十三仏といいます。
十三仏のうち八尊は、下表のようにそれぞれの干支と方角の守護尊となっています。
鎌倉六阿弥陀とは第一番札所 高徳院【鎌倉大仏】、第二番札所 光明寺【阿弥陀如来】、第三番札所 宝戒寺【南無阿弥陀仏】、第四番札所 長谷寺【厄除け阿弥陀】、第五番札所 浄光明寺【宝冠阿弥陀】、第六番札所 光触寺【頬焼阿弥陀】の6つの阿弥陀様をめぐる札所のことです。
閻魔様が亡者に苦しみを与えると、閻魔様にとっての罪となります。日に三度、閻魔様はその罪のためにドロドロに解けた灼熱の銅を口をこじ開けられて流し込まれ、舌から腸に至るまで爛れきってしまいます。その苦しみは、亡者のどの苦しみはよりも苦しいとされています。
閻魔様自身が罪を受けると分かっていても、亡者が生前に犯した罪を知ってしまうと、どうしてもそれを許すことができず、また自分自身も罪を受けることになるのです。
亡くなってから七日ごとに秦広王(初七日)・初江王(十四日)・宋帝王(二十一日)・五官王(二十八日)・閻魔王(三十五日)・変成王(四十二日)・泰山王(四十九日)の順番に審理を受けます。七回の審理で決まらない場合に平等王(百ヶ日忌)・都市王(一周忌)・五道転輪王(三回忌)という救済の受け皿が用意されているそうです。
十王は下記のようにそれぞれ明王、菩薩、如来の化身といわれいます。
秦広王(しんこうおう)→不動明王
初江王(しょこうおう)→釈迦如来
宋帝王(そうていおう)→文殊菩薩
五官王(ごかんおう)→普賢菩薩
閻魔王(えんまおう)→地蔵菩薩
変成王(へんじょうおう)→弥勒菩薩
泰山王(たいざんおう)→薬師如来
平等王(びょうどうおう)→観音菩薩
都市王(としおう)→勢至菩薩
五道転輪王(ごどうてんりんおう)→阿弥陀如来
1863年(文久2)横浜生まれ。明治時代に活躍した美術家で、近代日本美術の発展に大きな功績を残した。
1903年(明治36)には自筆の英文著作【The Book of Tea 】をロンドンで出版、三年後にはニューヨークでも出版された。
1910年(明治43) ボストン美術館中国・日本美術部長に就任したが数年で病気のために帰国。1913年(大正2)療養のために新潟県の赤倉に移ったが、病状が悪化し亡くなった。享年50歳。
アメリカ合衆国の哲学者で、日本美術に深い関心をよせていた。明治時代に来日し、東京大学で政治学、哲学、理財学などの講義を行った。この講義を聴いていた者のなかには、岡倉天心もいた。
後に文部省図画調査会委員に任命され、近畿地方の古寺社の宝物調査を行った。法隆寺の秘仏である救世観音を開帳したのはこのときの調査によるものであった。
仏教に帰依し大津の三井寺で受戒、1908年(明治41)ロンドン滞在中に亡くなり三井寺の塔頭法明院に葬られた。
供養塔や墓塔として作られる仏塔の一種で、宝珠形(または団子形)、半球、四角錘(または三角錘)、球、六面体からなる5つの立体化されたものを積み上げた塔のことで、材質は主に石でできている。
上から虚空、空気、太陽の熱と光り、水、大地(下から地、水、火、風、空という)という生命の五大元素を表しており、それを司る大日如来の永遠なる宇宙の理法そのものとしてとらえられた仏のあり方を表している。
作られた時代によって、四角錘の部分が反り立つなどの変化がみられる。
ちなみに板塔婆は、表に地、水、火、風、空を表す梵字をす五輪塔の形態を持っている。
染屋太郎大夫時忠は、藤原鎌足の玄孫(やしゃご)で、文武天皇の時代から聖武天皇時代に鎌倉に住み、東八箇国の総司令官となり東夷も鎮めて由比長者とよばれた。長者久保という地名は屋敷跡だとされる。
ある日、時忠の娘が鷲にさらわれてしまい、そのときに散らばった肉片や骨などが見つかった場所に塔を建て供養としたところが「塔ノ辻」と伝わる。江戸時代の古地図によると鎌倉には7カ所(建長寺前、円覚寺前、浄智寺前、鉄ノ井付近、下馬、小町、宝戒寺の南)の塔ノ辻があったが、現在は笹目のバス停近くの十字路に唯一塔ノ辻の五輪塔が残っているだけである。
極楽寺から続く山が海へと突き出て由比ヶ浜と七里ヶ浜に分ける形となる岬で、国の史跡に指定されている。その形が稲の束を積み上げたように見えることからその名がついた。断崖となっている東側を霊山、西側を稲村ケ崎と呼ぶ。
鎌倉七口には入っていないが、鎌倉時代の初期のころは稲村ガ崎が京への表玄関であった。当初は行列整えて越えることができないほどの難所であった。
元弘三年(1333年)の鎌倉攻めのおり、新田義貞が黄金の太刀を海中に投げ入れて竜神に祈ると、潮がひいて鎌倉に攻め入ることができたという伝説はよく知られている。
現在は海浜公園として整備されており、新田義貞の石碑や近代細菌学の祖と呼ばれるロベルト・コッホ(ドイツ人)の記念碑が置かれている。ロベルト・コッホは1910年(明治43)に弟子の北里柴三郎と鎌倉を訪れている。この他にも七里ヶ浜で起こった逗子開成のボート転覆海難事故の慰霊碑がある。
2003年(平成15)に海水浴場が閉鎖された。
「仁和寺にある法師年寄るまで、石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとり、徒歩よりまうでけり。極楽寺高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。さて、かたへの人にあひて、「年ごろ思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり。」
「仁和寺にのある法師が、年をとるまで石清水を拝んだことがなく、それを残念に思い、あるとき思い立って一人で徒歩にて極楽寺、高良社などを拝み、これで願いがかなったと思って帰った。 そして仲間に「長年思っていたことを果たしました。評判以上に尊くおはしました。それにしても、参拝の人たちが、山へ登って行ったのは、何事だったのか。気にはなったけれども、神へお参りするのが目的なのだと思って、山の上までは見なかった。」と言いった。 少しのことでも、案内はもちたいものである」